自分が自分を含めた弱者を助ける理由
そもそもなんで自分が社会的弱者やマイノリティを救いたいとの想いを強めるきっかけがありまして、ネットで以下のような意見を目にしたところから始まります。
あれは確かヤフーニュースで社会保障や生活保護のニュースについて書かれていたコメントでした。
「弱者を助けるのは当然のことである」
もともと高齢者や妊婦に電車で席を譲ったり、街中で白杖を持っている人を気遣う程度のゆるい意識ぐらいは持っていたのですが、このようなコメントを見て、おお!素晴らしい信念だ!と感銘を受けました。
助けることが当然だという信念が単純にカッケーなーと思ったわけです。
常にヘイトコメントが飛び交い、暇人が書いているであろう、ヤフーニュースコメントにもたまにはこういう玉石混淆で良いコメントが埋もれていることがあるのです。
自分は昔からヒーローものに憧れを持っており、最古の記憶では機動刑事ジバンに始まり、中学校の時には自分でヒーロー戦隊物の小説(ラノベ)を書いて友達に見せたり、ゲームのサガフロンティアでは7人の主人公の内、ヒーローに変身するレッドが一番好きでした。
そんなヒーロー好きの自分だからこそ、助けるのが当然という信念が刺さったのだと思います。
人を助けるなんておこがましいと思ったり、他人から何様だと思われることもあるかもしれないと二の足を踏んでいた時期もありましたが、そんなの気にせず自分がカッケーと思った信念を貫き通した方が良いですよね。
やらない善よりやる偽善という言葉が最近聞かれますね。
自分は難病を持っていますが、幸いにしてほぼ五体満足(4.5体満足ぐらい?)で仕事もできておりますので、難病支援・障害者支援の募金に協力しています。
そんな活動をして承認欲求を満たすぐらいのことは良いよねと思うわけです。
健常者の方で「社会保障なんて俺は使わないから払いたくもねえ」「生活保護受給なんて許せない」みたいな話をする人がいますが、障害や難病はいつ何時起こるかわからないものですから、税金や(社会/国民)保険料は払うべきだと思うんですよね。
ヒーローのように無償の人助けとまではいかなくても、人のため、ひいては自分のためになるから人を助けるのは良いと思うんです。情けは人のためならず。
ちょっと不純かもしれませんが、そんなフランクな感じで人助けしていく意識改革があっても良いかなと思います。