障害者を人間と思ってない人間へのアンチテーゼ(津久井やまゆり園の殺傷事件から1ヶ月)
相模原の障害者施設、津久井やまゆり園の殺傷事件から1ヶ月が経過しました。事件を風化させないように記事を書きます。
とにかくショッキングな事件であり、被害者の方には哀悼の意を表します。
刃物で45人を手にかけその内19人もの人を殺害したとのことで、事件の一報を聞いてまず思ったのが、人に対してそんなに連続で刃を振るうことはできないよなという点です。痛そうにしたり様々な反応があったら怯んでしまうと思うんです。
それを実行できたというのは、犯人の植松聖容疑者が障害者のことを人間と思っていないからこそだと思います。
事件前に犯人が衆議院議長に宛てた手紙の内容には、
障害者は人間としてではなく、動物として生活を過しております。車イスに一生縛られている気の毒な利用者も多く存在し、保護者が絶縁状態にあることも珍しくありません。
私の目標は重複障害者の方が家庭内での生活、及び社会的活動が極めて困難な場合、保護者の同意を得て安楽死できる世界です。
重複障害者に対する命のあり方は未だに答えが見つかっていない所だと考えました。障害者は不幸を作ることしかできません。
とあるように、動物とまで言っており、人間と見ていません。
このような人間が他の人間の生き死にをその価値によって決めたり選別したりすることを「優生思想」と言います。
事件以後にネットで、容疑者の意見に同調する、「障害者は要らない」といった、そら恐ろしい声がいくつも挙がったそうです。
私は障害者不要論者に批判をしたい!
不要論者は結局、無知または思いやりが無い人、もしくはその両方だと思います。
良く障害者不要論を挙げる人へ対してのカウンターとして話されるのが、以下のトピックです。
1. 事故や病気により、いつ何時自身が障害者になるかわからない。福祉や医療はそのためにあります。その事がわかっていない。
批判的な言い方をする人の場合、「障害者イラネといっている人は、自身が障害者になったら殺されても構わないんですね。」という批判も挙げられます。
○○になったら抹殺!なんて世界、息苦しいですよね。
2. 多様性を否定し除外すると種として弱くなります。
例えば私は難病患者ですが、難病患者への医療費助成などは、その研究を兼ねている側面があります。
それらを世の中から切ってしまった場合、もし特定の障害や難病が大勢に罹かったら、対策に後手を踏むこととなります。
こういった知識と思いやりがあれば、障害者イラネなんて考えもしないと思うのです。
もっと言うとそれ以前に、そもそも人を殺そうとは思わないし、自分の思想で人の人生を狂わすことがあり得ないですよね。
画像は相模原市の社会福祉協議会のゆるキャラ、ふくまるくんです。(配色がまんまアレ)